客車

3軸台車の走行音

 少し違う話題にしよう。

今では「スイテ49」が動態保存されていて走行する機会も多く、三軸台車の音も聞くことが出来るだろう。
 
1981年頃、旧型客車の廃車も目前に迫り、近畿はもちろん四国、山陰と撮影と走行音を録音するために毎月のように追いかけていた。
 北海道に木造客車の生き残りが走っており、そのうえ3軸台車だというので雪の中を空路で札幌へ、夜遅くに追分駅構内の端にある「宿泊所」に泊まった。
翌朝は雪も止み、駅前を滑りながら夕張線の清水沢へ向かった。
 
あまり詳細は記憶にないが、3軸台車の客車走行音を録音することが目的で撮影する余裕はない。
 長い石炭列車につながった混合列車で、機関車はDD13だから蒸気暖房はなく、ダルマストーブが置かれている。
DD13の汽笛とともに列車は徐々にスピードを上げるが、遅い。
タンタンタン、タンタンタンという音を聞きながら、途中で1駅停車し、全行程20分あまりで終点の南大夕張に滑り込んだ。
●夕方の折り返し列車までホームに据え付けられた「スハニ6」
 
撮影; 1982年01月12日
場所; 南大夕張

2018091901

●スハニ6の3軸台車走行音
スハニ6の台車芯皿付近、デッキ近くで録音
20分余りの録音から、短く編集した。
3軸台車の音をお楽しみください。
・汽笛~発車(00:00~00:54)「タンタンタン」
・比較的早い走行音(00:55~01:09)「タタタン」
機材;アイワ・カセットボーイ(内蔵ステレオマイク)
※古い録音のため、ヒスノイズ等、ご容赦ください。

3軸台車と2軸台車の鋼製客車2両であるが、木造客車特有の構造を撮影している。
別の機会にでもご覧いただこう。
完結

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客車屋根布の割付

昨日今日と工作の進捗はない。
最近は模型の話題が主で、本来の「客貨車」の話題はしばらく発信していない。
 
 昨年は民営化から30年、OB会に参加しても当時の先輩方の記憶も薄れて、昔の技術的なことを尋ねても情報を得るのは難しい。
時には昔のことは勘弁してほしい、という方もおられ、時代の流れには逆らえない。
とはいっても模型を作るには知りたいとこのブログにいらっしゃる方々も多い。
 当時は高額なコピー費を要して図面をコピーしたものだが、今となっては復刻されたもの、ネット上から得られる情報も多く、苦労したわりには生かされていないように感じる。
 最近は情報を温存するより、必要な方々、仲間に託したほうが有効に利用していただけると考えている。
 
 「スエ785(戦災復旧客車)」で情報を交換してから「鉄道省半田鉄道局の業務日誌」さんから多くの情報をご教示いただいた。
最近、丸屋根客車の「屋根布の割付」を考察されてたので、2日間図面資料とにらめっこしながら作図したので話題にしたい。

2018062901

氏は、多くの資料から古い時代の客車の形態、構造を綿密に考察され、模型で再現されている。
 
 私が現役時代在籍したのは、管理局の管轄下の区所で「検査」し「修繕」するのが主な業務である。
客貨車は3年または4年に全般検査による定期検査、修繕を受け本社管轄の工場で実施される。
 
さて、話題の屋根布であるが、古い規定「客貨車区(中略)・・において施工すべき客貨車修繕工事の範囲(昭和6年達)」では「(19)雨漏りの軽微なる補修」とあり、「屋根布の張替え」は区所の範囲ではない。
 「客貨車区(中略)・・・於いて施行する客貨車修繕工事の範囲(昭和22年達)」では
5.屋根布の張替
と示されている。
 私が察するに、戦災による混乱、早期の復旧に向け、区所での張替えを奨励したのではと考える。
また、「客貨車更新修繕について(昭和24年公報)」では、
1.客車更新修繕
(ア)修繕期限
大体90か月ごとに施工すべきものとする。
(ウ)工事内容
室内木部一応全部取り外し・・・屋根布の張替え・・・。
2.貨車更新修繕
(ア)大体10年ごとに施工するものとする。
(ウ)工事内容
・・・屋根布は、原則として張替え、・・・。
 
必ずしも全般検査入場で屋根布を更新するわけではないことが明らかである。
 
私の記憶では、本社資材部に要求して購入した屋根布の定尺は「9??mmx15m巻」であったのは確かで、これでは20m級客車には短く足りないと思われる。
当時の品目表がないので確かではないが、客車修繕用20m巻が存在していたと思われる。
 
ここで本題に入ろう、
「屋根布の割付」であるが、
氏の所蔵される写真は新製時のもののようであるが、
 
当方が撮影した晩年の写真とは割付が少し異なるように思われる。
 
 
 
 手持ち資料を一通り探したが、詳細図面集でも屋根布の割付を記述しているものは見られない。
 昭和40年代の「関西支社貨車検査標準(区所用)」では、「重なり寸法は70mm以上」と示しているだけで、具体的な割付寸法は見られない。
また客車に該当するものは「鋼板」のみで「屋根布」の記載はない。
教習用教本では、5枚の屋根布を張り重ねる順序は記載されているが、具体的な寸法はない。
 
これら資料を基に、私なりに図を描いて考察した結果は次の通りだ。

Yane02

模型的には編成で揃えれば違和感が無いだろうが、晩年の車両であれば少々の寸法の違いは気にする必要はないだろう。
 
当時の記憶では15m巻は一人では運べず、フォークリフトに乗せるか、直径30cm程度のものを転がしていた。
仮に20m巻きがあるとしたら運搬できるのか、現実的な寸法なのか、図の左側に検証し計測した。
20年ほど前CADで自動作図するために作成したプログラムがあったので、利用した。
(もちろん、自分自身で作成したauto-lispのプログラムである。”guru.lsp”)
ピッチ=5mm指定し複数回反復描画する。
直線の近似補完を連続曲線に変換した。
記憶の通りなら、15m巻で約31cmだが、20m巻なら僅か直径5cmほどの違いから、現実的な大きさである。
なお、民営化を前に退職された大先輩から高砂工場の写真があったので掲示しておく。
足場がありわかりにくいが、郵便車の屋根布を張りかえている作業、左端に巻いた屋根布が見られる。

Yane01_2

模型的には実車写真を製作者自ら適当に製作すればよいことだが、この数値が一つの指標としてご判断いただければ幸いである。
 
このような話題も楽しいが、模型ももう少し実態に合ったもの仕上げないといけないなあ。

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連合軍用客車のイラスト

先日、自宅の本棚を探してみたら1990年代以降のTMS数十冊と形式図が出てきた。
その他にも客車、貨車の形式図コピーと鉄道史資料保存会の連合軍客車形式図である。
 
 もう20年近く前になるだろう、模型製作ができなくて、資金もなく育児をしながら家に引きこもっていた時期だった。

 前出のスエ38のイラストをはじめ、一連のシリーズの図は一通り描いていて線画はCADで描き、Photoshop_Elementsで着色を試みた。
 
今見てみると、線画の淵に色が滲んでいたり、描き忘れた部品があったり、ツッコミどころ満載である。
もう少し資料もそろうだろうし、時間があれば一通り描きなおしてみたいと思う。
実車を見たわけでもないし、黒岩さん作品をみて色いれしたが、片野さんいわく「赤すぎないかな」とのご指摘だった。
2000年4月頃の作品である。
●1101_AUGUSTA
種車はマイネフ37である。

Mainefu1101

●2330_BISMARK
種車はオロ31である。

2330

床下はこの通りかどうかわからない。

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旧型客車

しばらく更新が止まっておりました。

今日は一段落して、早朝から大井川へ行ってきました。
いつもは一人だと退屈で長い行程ですが、往復とも鉄道談義、カメラ、写真談義で一息つく間もなく金谷に着いてしまいました。
 いつもの一往復とは異なり、三往復+アルファで忙しい1日でした。
成果はともかく、最後に金谷駅構内の旧型客車を見学し、間近に客車を見ることができ、遠い昔の客車区を思い出すような光景でした。
●スハフ42
客車ファンには「有り得ない」塗色ですが、私はこの色が好きで白黒で撮影することが多いのですが、夕焼けに映えた車体は、あらためて「これの色も好い」と思いました。
皆さん異論はあるのは承知の上です・・・。

2017031103

●スハフ43
このスハフ433は、35年前に四国で撮影しているのです。
白線入りの特急仕様は好きではなかったのですが、でもやっぱりいいなあ。

2017031102

近いうちに客車の話題も準備したいと思います。

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20系客車の話題

先週は1年ぶりに大井川鉄道の撮影に行ってきました。
ナイトトレインが走ると言うことで、朝6時に出発して、帰宅したのは翌朝午前2時半でした。
久しぶりに片道4時間、抜里~千頭を自動車で2往復しました。
以前は苦手だった狭路もスリルがあって楽しみました。

 先日、みのるさんの「庶茂内・雑記」で20系の話題を取り上げられ、私もひさしぶりに昔のことを思い出しました。
とはいっても私自身の体験は少なく、格下げ後に撮影したのが僅かです。
国鉄車両のディテール
あまり良い例ではありません。
以前に取り上げたことがあるのですが、1967年に技術出版社から「模型と工作・HOペーパー車体集・特急シリーズ」というのがありました。
父が古本屋で探してきて、「自分で作ってみろ」と言うことだったのでしょう。
●HOペーパー車体集・特急シリーズ
古いものなので痛みがあり、ファイリングしたりであまり状態はよくありません。
すでに中身は作ったり、友人に分けたりで残っていません。

P20011

もう50年前になりますが、当時650円だったのです。
TMSのスタイルブックが950円と比べて高いように思います。
表紙をみると、カツミ製と思われる20系と天賞堂の151系でしょうか、子供心にこのようにできるのかと錯覚したんじゃないでしょうか。

内容を見てみましょう。
沢山の形式が掲載されています。
あんまり落書きが汚いので編集しました。

P20012

実写のの紹介も含め、工作方法も示されています。
実際には作りなれていないと難しいと思います。
という私も作りましたが、子供のおもちゃ程度というところでしょうか。
表面の印刷はありますが、切り口に白く残るので色鉛筆等で目立ちにくく手を加える必要がありました。

私の作ったのは今は残っていません。
ということで、お見せするのは恥ずかしいですが・・・

P2000

機関車はダイヤモンドシリーズのC62で、変な集煙装置みたいなの付けてますね。
後に2両増備して1年あまり遊んだでしょうか、中1の文化祭でカツミの金属道床とポイントで周回して展示したことを思い出します。
このあと先輩に貸し出し、1カ月後に無残な姿で返却されました。

 さて、私の手元には模型作りの参考になるような資料はなくて、このようなものが出てきました。
●JRS「20系特急形客車」
メーカー発注時の仕様書のようなものでしょう。
手元には新旧2冊あって、昭和45年版はナハフが削除されています。
外形寸法も異なるところがあるのですが誤植ではないかと思います。
P20013

当たり前の内容ばかりで特筆すべきものはありませんが、設備の項目で以下のような記述があります。

「1等寝台車・・・・・・下段腰掛モケットは・・・・(イエローグリーン)とする」や「2等寝台車・・・・・・モケットは,・・・(ブルー)とする」のように表現されています。
他には「荷物車以外の車輪は820mmの一体圧延車輪とする」や「荷物車の車軸は・・・・・・・カニ22については,15t用のものとし・・・」などがよくわかります。

私は今まで知らなかったのですが、この中で全車台枠高さは1100mmで同一なのですが、床面高さは荷物車のみ1130mmということを知りました。(他は1170mm)
模型製作上は大きな違いではありません。
あまり一般的ではありませんが、必要であれば何かの機会に詳細をご披露しましょう。

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吹田貨車区の出来事-(1)

吹田貨車区には数両の客車が配備されている。
そのうちの2両が通勤用客車である。
鉄道ファンにも紹介されたことがあるのでご存知の方も多いと思う。
さて、この客車の話をすると一回では済まないと思う。
少し整理しておこう。
私の記憶によるものなので、勘違いがあるかもしれない。
●通勤客車の運行形態
区間; 吹田貨車区~岸辺駅(試運転線)
運用; 1便;8:00過ぎに1往復
    2便;17:00過ぎに1往復
編成;
 岸辺駅<= 機関車+スヤ372+オヤ304 =>貨車区
機関車は吹田第一機関区のDD13で、後にDE10またはDE11に変更された。
客車車号;
○スヤ372(初代)
 スハフ32形式(丸屋根)の改造車
 昭和53年に廃車

Sy37201

○オヤ304(初代)
 オロ31形式の改造車で、丸屋根に改装されている。
確かではないが床下写真から洗面所かデッキにハンドブレーキが設置されていたもの思われる。全般検査間もないのか艶がある。
 昭和55年に廃車

Oy30401

○スヤ372(二代)
 オハフ33形式(丸屋根;戦前)の改造車
 昭和53年に配置

Suya37202

工場から出場したばかりで車内は光っている。
露出不足で焦点深度が浅い。
電池、消火器等搭載のため車庫内に入っているので前方にはホッパー車が停まっている。前歴は姫路区だったと思う。(オハフ33225?)

Suya3720201

○オヤ304(二代)
 オハフ33形式(折妻;戦後)の改造車
 昭和55年に配置

Oya30402

●概要
吹田操車場構内で捕捉された貨車は、早朝(7時過ぎ)に機関車に引かれ吹田貨車区構内奥、吹田工場寄り(西側)で機関車を開放する。このときは貨車は30両程度である。
機回しの上、東側から10両程度を持って貨車区東側の引き上げ線に入る。
適宜操車掛の指示により貨車区1~5番線へ押込み。機関車は通勤客車の手前に置かれる。
なお、出区する貨車は前日夕方に既に入換えの上、構内へ送られている。
8時頃、エンジンを起動した機関車は2両の客車に連結し出発する。
機関車前頭デッキには操車掛他2名程度が乗車し、旗を合図にポイント渡る。
更に信号所前、機関区入出区線の渡りポイント、更にダブルスリップを岸部駅方面へ試運転線に入る。
2~3分で岸辺駅に機関車を前頭に停車する。貨車区~岸辺駅は機関車は正位。
枕木を2本程度敷いたホームから客車に乗車する。
8時7分頃に機関車は退行しながら、つまり推進運転で客車を先頭に貨車区方面へ出発する。
通勤列車は試運転線からダブルスリップ、工場入区線へ入り、通勤客車停止位置に停車し、乗客が降りてから洗浄線横最奥に押込む。機関車は開放され、一旦引き上げ線へ入り、第一機関区へ戻る。
以上が1便で朝の仕業は終了するものと思われる。
8:30の始業と共に点呼が行われ貨車区の1日は始まる。
夕刻の2便は16時過ぎにその日に検査を完了した貨車が操車場構内へ送られる。
まもなく構内から貨車30両程度を貨車区へ引き込み、朝と同様に1~5番線に適宜押込まれる。
このとき、各貨車は指定された場所に一定間隔で1両ずつ切り離されて停車する。
つまり1両ずつ突放しなければならない。
入換え作業終了後、機関車は客車に連結して置かれ。17時10分頃に岸部駅方面向かう。
あとは1便と同様である。
●補足
チ1000(バキュームカー)は月に数回、夕方の便の機関車次位に連結される。
チ1000が開放され、バキュームカーが降ろされるタイミングは記憶にない。
客車が全般検査で工場に入区する場合は、ヨ6000形式等2~3両を客車代用として機関車側に連結された。
午前中に検査を完了した貨車は、11時30分頃から入換が始まり、12時30分頃には検査車両の据え付けが終わる。
1982年11月15日、通勤便は最後を迎えた。
●通勤便最終日の1便(朝)
機関車はDE1111、スヤ372、オヤ304と続く
手前2本が入出区線、奥側が引上げ線。
列車はポイントを渡り、手前のダブルスリップを渡る。

Tukin01

完結

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スエ785(戦災復旧客車)

 戦災復旧客車のなかでも、数少ない3軸台車のグループからご覧いただく。
現在は小樽手宮博物館に保存され老朽化が著しいが、室内の見学もでき、今日では数少ない救援車の内部を見ることが出来る。

 前歴を洗ってみるが、詳細な車号、改造年月は不明である。
魚腹大枠のカニ37が種車で、
オハ78(S21~23)=>マユニ78(S28,29)=>スエ785
と推定する。(形式図より)
これらにはTR-71とTR-73を履くグループ、一部は屋根端部が丸屋根のものが存在した。
数年前までJR東日本で保存、平成19年に解体されたスエ7815は丸屋根である。(魚腹台枠ではない)

●スエ785,旭エン(遠軽)
撮影年月;2007年10月5日(小樽手宮博物館)

Sue78501_2

 種車の面影は少なく、僅かに床下と台車に見られるだけである。(台車はTR-71or74)
魚腹台枠のうち、大梁の数の多いことから、種車はカニ37と考える。
ただし、端梁のアンチクライマー(突当座)は撤去されているようだ。
車体は「折妻」「絞りなし」となっている。
本来の鋼体は、高窓グループのはずであるから、復旧に際し標準断面を踏襲しているようだ。
①端(前位)のデッキドアは埋められているが、形式図から判断すると当初のオハ78に復旧時から撤去されていると思われる。(※オハ78の形式図が手元に無いため、確定はできない)

●妻面(後位;旧車掌室側)
ドア両側の手すり、貫通渡り板は撤去されている。
救援車に改造された時期に貫通ホロ、金具関連は撤去され跡形もない。
妻面は折妻でオハ35戦後、尾燈,ステップ,縦雨樋はオハ61系に準じている。
配電用ツナギ箱は残っている。

Sue78502

●車掌室及び台車
旧車掌室、狭窓(400mm)、ドア、札挿はマユニ78時代から変更ないだろう。
老朽化が著しく、雨樋は朽ち果てている。
暖房関係の配管、蒸気トラップもそのまま残されている。
台車はTR-71と思われる。
旧荷物室窓は2段窓で、戦災復旧客車の特徴である。

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Sue78505

●妻面(旧郵便室側)及び側引戸、台車

Sue78503

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●床下、台枠を見る(前位、郵便室側)
中梁魚腹台枠、大梁が2箇所見える。(UF44)
リベットで固定されている様子がわかる。
左右に見える箱は電池箱(6ケ入)で、車軸発電機は撤去されている。
左側、レールは復旧作業用で、救援車改造後に設置されたもの。

Sue78508_2

Sue78507_2

●空気だめ、ブレーキシリンダ(車掌室側)
空気だめ(手前)と制御弁,ブレーキシリンダ(向側)
客車標準のA制御弁とシリンダ(Φ356)

Sue78509

●室内(郵便室側)

Sue78511

左から
・酸素ボンベ
・パイプレンチ、スパナ、小ジャッキ
・メガネレンチ(左側壁)
・ドラム缶
・溶接面、バーナー(火口)
・溶接用ホース、溶接ケーブル(右側壁)
・軍手、溶接棒、ゲージ(ガス)
・アセチレンボンベ

●室内中央

Sue78512

・作業台
・万力
・電気ドリル
・ハンマー
・大型スパナ
・チェンブロック
・梯子(天井)

●室内(車掌室側)

Sue78510

通常は客室内の内装があるため、このように見ることはできない。
天井アーチの構造がよく解る。
内張り板は標準色の塗りつぶしであるが、オハ78に復旧された頃も同様の室内であったと思われる。※当時はニス塗り
・発電機(溶接機?)
・石炭ストーブ

●天井室内灯
・透明グローブ

Sue78513

●形式図イラスト

Fig_se785

「客車形式図・1959」から「VC03495」(マユニ78)を参考に、
室内はマユニ78時代の仕切りを示している。
過去に作図した、カニ37形式を基に作図編集、加筆した。
 今回、改めて気がついたのは、当形式には大梁が2箇所連続していることである。
正確な図面が無いので断定できないが、別形式(スエ38)の梁とは異なることが判明した。
種車の違いによるものと思われるが、今となっては正確な資料、現車確認することも出来なくなった。

参考文献;
・鉄道史料(鉄道史資料保存会)
・二軸ボギー客車明細図(同上)
・客貨車名称図解(同上)
・客車形式図・1959

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オエ7016(戦災復旧客車)

 ブログ復活を宣言して、一ヶ月が経ってしまった。
方向性を決めていたとはいえ、具体的な記事の内容には迷ってしまう。
まずは客車と考えたが、なかなか思うようにまとまりがつかない。
そんな中から、戦災復旧車を選んでみた。
旧型客車は好きで資料には困らないが、「戦災復旧車」は情報も少なく、あまり得意ではない。
漠然と戦災(主に火災)を受けた客車や電車の鋼体を利用したことぐらいしか知らない。

 当時、加古川線を訪問した際、偶然に高砂駅構内に留置されている「オエ7016」に出会った。
区名は大ヒメ(姫路客貨車区)救援車、入場・廃車待のため高砂駅に留置されていたものと推測する。

少ない資料から前歴を洗ってみると、「オハ7031(S22.10/東鉄)」=>「スニ7312(S25.8)」=>「オエ7016(S37.3/大ヒメ)」と記されている。(鉄道史料38号,P.31)
●オエ7016,大ヒメ
撮影年月;1983年6月10日(高砂駅にて)
Camera;Toyofield 45A,Fujinon 150mm

Oe701601

戦災復旧車のなかでも、妻のシル・ヘッダーや窓の開口高さに電車の特徴を多く残している。
この種の復旧に際し、鋼体を利用されたくらいで種車を推定するのは難しい。
台車は種車のものかは不明だが、TR-11と思われる。
屋根は改造に際し、標準客車の断面に準じていると思われる。

●形式図イラスト

Fig_oe7016

 今回の記事のために、新規に側面図(2面)と妻面を作図した。
当時の電車形式図を基に作図したものの、該当する形式図と寸法的に一致しない部分が見受けられた。
この種の改造には標準図で描かれているため、実際にこの寸法かは定かでない。
結局、「客車形式図・1959」から「VC03393」(スニ73)を参考にした。
写真からは現車の台枠、台車の形式は不明であるが、近似する形式から魚腹大枠、TR-11とした。
(イラストは以前に作図した「オハ31系」を基に編集した。
床下機器の配置は、オハニ31を参考にしている。

 次回からは客車シリーズの中から、戦災復旧車をいくつか紹介しようと思う。
少しずつ、ディテールや各機器の部品図なども紹介できればと考えている。
記事にするまでには、写真と資料を検証し、イラストを作図するために時間を要するため、少々、お待ち願いたい。

参考文献;
・鉄道史料(鉄道史資料保存会)
・二軸ボギー客車明細図(同上)
・客貨車名称図解(同上)

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