施設

御殿場線・谷峨~山北

 出張の途中の休みに遠出をして御殿場線を歩いた。
D52が走っていた頃は写真でしか知らないが、僅かに遺構が残っている。

撮影場所;谷峨~山北駅
撮影年月日;2004年3月
戦前の複線時代の橋脚が見られる。

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煉瓦積の橋台に古いプレートガーダーが残されている。
B6やD50も走っていた頃のものだろう。

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旧複線時代のトンネルだろう。

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単線電化され、橋梁も交換されている。

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桜には少し早かったが、もう春は近い。
山北駅(沼津方)、D52の発車でも有名な撮影場所である。
複線と引上げ線くらいの余裕はある。

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●山北駅構内

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沼津方、下り方面を見る。

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国府津方上り線、右方向あたりに転車台があったのだろう。

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明治の機関車コレクション、9750形式など、背景の山に見覚えがある。

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下り外、ホームの痕跡が残されている。

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ホームから駅舎を見る。

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駅前を見る。
ここの跨線橋は古く有名だが撮影していなかった。

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●駅前の洋館

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D52や9600、D50の頃を妄想したい。
完結

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N社の資料から

 模型の工作が止まって一週間になります。ちょっとやる気が・・・。

明日から数日は定例案件処理のためしばらくはできないでしょう。
 
 石炭桟橋、運搬に関係する情報をネットや手持ちの資料から探し、セクションの参考にしようとしています。
 1960年(昭和35年)頃の資料を探そうとすると、非常に少なく、先の「科学画報」くらいで何もつかめないというところ。
 亡くなった親父が35年ほど前まで日本輸送機に勤務していたこともあって、当時の社内誌がいくつか残してある。
 「創立20周年記念誌」(昭和32年10月)、ちょうど私が生まれた当時のものである。
鉄道に関係する写真もあるが、そのなかから興味があったものを拾い出した。
●フォークリフト用ショベルアタッチメント
ショベルカー(タイヤ式)も製作していたようだが、フォークリフトに付けるというのは特殊な例だと思う。
写真は、貨車の形態から見ると九州の高架桟橋だと思われる。

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●コンベヤー
船から陸揚げしているのだろうか。このようなコンベヤーを見るのは初めてで、稀な例だと思う。小さなふ頭には、手軽に導入できるのだろう。
想像だが昭和20年代ではないだろうか。

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●貯木場
パルプ工場の原木貯木場での運搬事例、比較的小さいサイズの原木のようだ。

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他にもいくつか興味ある写真はあるが、これぐらいにしておこう。
 
古いアルバムには、弁天町の見本市会場で撮影した写真も残っているので、探してみようと思う。

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高架桟橋脇の線路

 数日間工作をやめています。

急に寒くなったのと、思い通りの結果が出ないのでやる気がなくなってきたのもあります。
高架桟橋脇の地面、草を撒いたが単調になったり。
 
昨年春の知人の風景をもう一度検討してみた。
セキ1000と高架桟橋
雪が解けて春先の風景ではあるが、そこらじゅうが草に覆われている。
思ったより草が多いのがわかるが、模型では大げさな感じになってしまう。
セクションで目線を下げて見るとそれらしく見えるのだけれど。
 
撮影年月日;2017年5月1日

線路の末端付近である。
列車が線路を使うことはないようで、機回しの設備は廃止され、レールは錆びている。
柵は丸太で金網が張られている。

線路の手前は、旧知人駅で貨物を扱っていたようなので鉄道用地だろうが駐車場代わりに使われている。鉄柵で仕切られている。

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線路脇、盛り土上には電柱が2条立っている。

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この時は貯炭量も少なかったが、多いときは山のように高く積まれることもあるようだ。
高架桟橋の柵も作らなければならない。

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林鉄の木造車庫ー(2)

木造車庫をもうひとつ、「北海道開拓の村」に保存されているものです。

北海道に行きさえすれば見ることができるので珍しくもないでしょう。
冬は雪があったり見られないかもしれません。
(私は馬車軌道のほうが好きで、冬の馬橇を見たいと思っています)
 
撮影年月日;2017年5月1日
場所;北海道開拓の村
場所が狭く、広角レンズを使っているため歪が大きいです。
何の説明も必要のない、雪国らしい扉付きです。 

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羽目板が通常より厚いのか、骨太に見えます。
模型的にはこのほうが似合うか。

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前後左右対称で、煙抜きがあります。
雪の関係か、屋根は波板です。

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内部は綺麗で、構造がよくわかります。

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林業に関係する機器が展示されています。

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林鉄のレイアウトを作るにはちょうど良い資料です。
完結

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林鉄の木造車庫ー(1)

森林鉄道の車庫を作ろうというわけではないが、雰囲気に好感が持てるのでごらんいただこう。

 
2015年に士幌線の廃線跡、コンクリートアーチ橋の取材するために渡道した際に十勝三股駅のあとにひっそりと残されているのを知り、簡単に撮影しておいた。
外観を見る限りは車庫には見えないが、古くは森林鉄道の木造車庫で、のちに作業場となったようだ。
すでに士幌線が無くなって30年、十勝三股に列車が来なくなって40年である。
それ以前には使われなくなっているのだろう。
 2017年に訪問した際にはすでに屋根が崩壊していた。
撮影年月日;2015年7月6日
煙突が高く、屋根の状態もよくわかる。
東南側から見る。
バックに遠く見えるのは三国峠、石狩岳方面である。

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南面を見る。
真ん中の扉が車庫の入り口に見えるようにも思えるが。

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西北側から見る。
真ん中の扉が大きく、機関車が出入りしそうな雰囲気である。

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屋根が崩壊したが、いずれは撤去されるのだろう、残念だ。
 
この隣に三股山荘という喫茶店があり、天気の良い日は昼食をいただきに通った。

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宗谷本線・日進~美深

 昨日、薬を飲んだからなのか早くに就寝して、夜中に目が覚め、記事を書きだしたら朝方である。

 
45年も付き合いのある友人から、「お誕生日メール」が届いた。61歳である。
2007年10月、青函トンネルを超えようとしているときにも「お誕生日メール」が届いた。50歳、あれからもう11年である。9回目の渡道だった。
 
宗谷本線、日進~美深間を自転車でめぐった。
前日、YHに宿泊した同室者が進めてくれたので1日掛けて挑戦する。
撮影日;2007年10月
●線路図概略
「国鉄全線各駅停車1」から抜粋した。1980年頃
訪問した時期と差があるが参考に願いたい。

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●日進
右奥、遠くにオレンジ色に見えるのが宿泊したYHである。
乗降場ではないが、仕様は乗降場並で待合室がないと冬場は厳しい。
気を付けないと列車が来たのかわからない待合室だ。

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線路奥付近で橋梁架け替え工事があったからか、付近が整備されている。

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●智東(廃止)
訪問時は駅は廃止されたが、駅前のスロープは残っていた。
当時のホームとは異なるだろうが、痕跡は残っていた。
駅構内は撤去され、線路は新しくなっている。
線路図からわかるように現役時は他に比べ大きかったようだ。

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この智東駅跡は北星駅まで迂回しないと道がないので遠かった。
●北星
周辺は草に覆われ、探さないと気が付かない場所にある。
「にっしん」のところが書き換えられ、「ちとう」だったんだろう。

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古い待合室だけれど、心地よい。

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●智恵文

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2面あったホームは1面となり分岐器も撤去され直線に改修されている。

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ヨ3500から改造された待合室。

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もう使っていないのだろうか農業倉庫が残っていて、北海道らしいレンガ造りなんだろうか。
左横あたりに貨物側線があったと思われる。
何が収穫されたんだろう、じゃがいもか、たまねぎ、甜菜か。

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●智北
比較的新しい造りではないかと感じる。

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●南美深
待合室が離れていて、バスと共用ではないだろうか。

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どの柱も傾いて、どれが垂直なのか。

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●美深
美幸線で有名になった駅である。最近ではトロッコが注目されている。
すでに駅舎は近代的で、特筆すべきものはほとんどなく、省略する。
ただひとつ跨線橋だけが取り残されたように当時を思い出させる。
北海道らしい密閉され、雪が滑り落ちにくい屋根が特徴である。
美幸線の時代に来たかった。

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平成になり比較的新しいストラクチャーなので参考にはならないと思うが、ご紹介した。
完結

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道東の駅(1975年夏)

 1975年夏に初めての北海道旅行をしている。

蒸気機関車が最後の夏だったが、何一つ撮影していない。
同級生と二人、時刻表と格闘しながら夜行列車と各駅停車で乗り鉄旅だ。
カラーネガの退色が激しく、痛みも多い。

●石北本線女満別
この朝、網走駅でオロハネ10を見ているのに記録していない。
跨線橋から同じ方向しか撮影していない。網走方面
「国鉄全線各駅停車」によると、網走方面ホーム(左)外側に2線、駅舎北見方面側に貨物側線が2線ある。
この日は女満別温泉に宿泊した。

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北見方面行き列車が到着する。
キハ22普通色、3連のようだ。
本州と違って、線路脇が広く、樹木の背も高く、広々としている。

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●根室本線厚床
シーナリーガイドにも出てくる、厚床駅である。
根室標津~中標津~厚床で根室行きの乗り継ぎ待ちに、釧路からの客車列車が到着した。郵便車が連結されている。「国鉄全線各駅停車」によると、駅舎側1番線に停車しているようだ。2番ホームから見る。
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同じホーム3番線から機関支区を見る。(釧路方面)
気動車が待機している。
C11はもう走っていなかったが、炭台、給水設備は残っている。
雪国のため、接触限界票は背が高いのが特徴である。

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8月の末、もう夏も終わりである。
完結

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紀伊浦神(紀勢本線)

 母の故郷が紀州の古座ということもあり、小学生の頃から何度か訪問している

友人とキハ81のくろしお号を撮影しようと、前日の夜行急行に乗り串本で降りた。
撮影も終わり夕方に勝浦へ戻る各駅停車に乗るため紀伊浦神まで戻った。
このときにキハ17に乗ったように記憶しているが定かではない。
 
紀勢本線紀伊浦神駅である。
記憶では紀伊田原と思っていたが違っていた。
誕生日か翌日だ。18歳
撮影年月日; 1975年10月
●駅舎
残念だが駅前の写真を撮影していない。
駅前でうどんを食べたように思う。
温暖な気候だからか、改札にドアがないけれど、台風のときはどうなんだろう。
屋根はスレート葺きになっている。

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島式1面の上下ホームである。
電柱はコンクリート柱に変わっている。

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●和歌山方面
おきまりの腕木式信号機とタブレット受がある。
左手前の側線は現在は撤去されているが、安全側線はいまも同じだ。
左にあるのは農業倉庫か、工場だろうか。

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●勝浦方面
こちらにもタブレット受がある。
バラスは油で汚れている。

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●勝浦方面から駅舎を見る
左の建物は鉄道官舎だろうか。
駅舎の手前の小さい屋根は便所だろう。

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●保線休憩所

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●最近の紀伊浦神
2013年12月の平日、古座から各駅停車で勝浦へ向う途中、オーシャンアローと交換した。

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完結

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木造橋梁ー(2)

(2018/07/19追記あり)
どうも木造橋梁が気になって、阿寒、鶴居方面の空中写真を閲覧しましたがそれらしい川がありません。

簡易軌道見聞録には掲載されていませんが、図には「塘路」付近に線路図が示されていて、念のために空中写真の「塘路」付近を探してみると、塘路駅付近の川をまたいでる航空写真を見つけました。
●国土地理院・空中写真より
映画の画面の左側には釧網線があることになります。

Banka2

明らかに橋台の突起が確認できます。
よく見ると左上は短いスパンがあるので3+1スパンとなるのが正しいようです。(5スパンが正解?)
橋梁の前後はカーブし、川の蛇行は前回の画像そのものです。
映像では手前に水が流れているのも、地図の記号と一致します。
人家か作業小屋のようなものを確認できます。(映像では煙が見えている)
おそらく間違いないでしょう、ロケをするにも駅から近く、車で移動することも容易と思われます。
●現在の状況(GOOGLEマップより)
(前の画像とは上下、南北が逆です)

Banka3

ネットで調べてみると「植民軌道・阿歴内線」(あれきない)と解説されています。
昭和13年供用開始、昭和36年廃止ですから、この映画のロケの数年後には廃止されてということになります。
念のためにその後(1977年)の空中写真を確かめると、カラーで鮮明なため、5スパンあり、手前が破損していることがわかります。
更に1985年の写真ではすでに撤去されたのか跡形もなく、現在のようになっています。
塘路駅には降りたことはありませんが、1980年前後には道東へ数回訪れているので、当時発見していたらと思うと残念です。
これでおおよそが判明したのですっきりしました。
 
2018/07/19追記
この木橋について解説されているブログがありましたので参考に。
1977年に一部流失したようですが、すでに木橋ではなくなっていたようです。
トラスは4スパンが正しいようです。
完桔

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木造橋梁

古い映画が好きで見に行くが、インターネットで古い作品を見ることがよくある。

多い日は2~3本見ることがあるがやはりスクリーンで見る方が集中できるし印象に残る。
 
昨夜は、「挽歌」(原作;原田康子、1957年松竹配給、久我美子、森雅之、高峰三枝子)を見た。
釧路を舞台にした物語で、釧路市内の高台のあたりのような風景が出てくる。
そのなかで男女が木造の鉄道橋の上で話す場面が出てくる。
また阿寒湖畔のホテルが出てくるので道東近辺でロケしたものと推測できる。
原作者は釧路在住であった。(2009年没)
  
その木造橋梁に気になり調べてみたが、該当する情報は皆無だった。
映像からは橋梁の全体像、構造がよくわかるシーンがある。
そのうちからキャプチャーしたものである。
(「挽歌」22分30秒あたり)より

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Banka

主な特徴;
(1)下部構造;コンクリートパイル、コンクリート橋台
(2)釧路湿原と考えられる蛇行した川、U状に湾曲
(3)木造トラス(約10m×3連)、およそ30m(推測)
(4)橋梁上は全面木製板敷き、人道と併用か
(5)橋梁前方はカーブしている 
 
橋梁の構造上、狭軌鉄道とは考えられず、ナロー鉄道、簡易軌道と推測した。
トラスの主構造はトドマツでボルト締結、縦の引っ張り部材はワイヤーだろう。
画面の向こうの方では煙が上がっているのが見えるので人が住んでいるのかもしれない。
 
 思い当たるのは「鶴居村営軌道」で、雄別鉄道とのクロッシングがあった北側で仁々志川(旧阿寒川)を渡るところかと考え「国土地理院空中写真昭和36年」を見たが、前後は直線で川の流れもこれほど湾曲しておらず、築堤が存在するのが異なる。
昭和42年の写真では宅地化が進み、河川も改良されている。
 この付近の川は蛇行しているが、線路交わることなく平行に走っている。
鶴居村方面になると川幅も狭くなり蛇行もほとんど見られない。

このほか考えられるのは「浜中町営軌道」か「風連線」が考えられるが、周りの風景からはそのようには思えない。
 
橋梁の構造や周りの風景は映像から判断できるので、あり得ないと思うが狭軌で模型化したいなあと思う。
これなら45cmで納まるだろう。

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